フィクション(意図)との付き合い方

バラエティとコント。

2/5放送のロンドンハーツ3時間SP「有吉先生の進路相談」を見て。
そして 死んだ目でダブルピースさんの記事を受けて。
 野呂佳代さんと有吉さんのバトルはヒヤヒヤ、ヒリヒリ感を残しつつ、アドバイス内容は非常に的を射て愛のあるものだった。
ただ、そういう見方って、TVっ子でお笑い好きな見方なんだろう。嫌な感じを受ける人も多いと思う。

 お笑い系の番組に対しては、演出を踏まえた上で楽しむ事が出来ている自分のつもりだけれど。例えば 神田うの さんに関しては、深く興味を持って追いかけているわけではないので、画面から伝わる印象だけで「嫌い」になっている自分がいる。
最近、ハマカーンの神田伸一郎とうのさんが対談している番組(「アシタスイッチ」)を見て、今までとは異なるイメージをはじめて神田うのさんに持った。裏側を見る機会や、そういう意識(興味)がないものは、やはりステレオタイプの見方になるのはしょうがないのかなと。
結局、マスで伝えられたものに対しては、こういった表面的な感情を抱くもんなんだと自分自身、両方の気持ちがあることに気付いた。好きで情報が多い分野だから裏が見えるだけなんだなあと。

 そしてテレビはあくまでもそういうメディアだと思う。ロンドンハーツでも、そういったネガティブな感情を呼び起こすことも想定した上で作られているんだと想像する。今回のAKBの恋愛問題のように、ネガティブであれ人の口に上ることの力は大きい。

 最近、TVの収録現場にいるお客さんが、漫才やコントをみているときにネタなのに感心したり驚いたりすること (例:「俺、銀行強盗しようかとおもうんだ」という漫才コントのフリに「えっ!」とお客が驚く) が多いなと思う。虚構(ファンタジー)の見方が分からなくなっているんだ、と。

プロレスはあまり見てこなかった自分だけれど、土曜8時にドリフを見て最初の頃は「志村後ろ後ろ!」と叫んでいた。子どもだから当然だけれど、演技を本当と信じ切っていた時期があった。ただしそういう体験があったから、バラエティをフィクションとしてみられるようになったと思っている。最近はコント番組が少ないので、見方が養われないのではないかと勘ぐっている。(もしくは、マツコと有吉の怒り新党で有吉さんが言っていたが、お客としてリアクションを過度にとろうとしているのかも。脚としてのポジションを全うしようみたいな)。
 TVは影響力のあるメディアなので、過剰演出に視聴者が辟易し始めているというのもあるとは思う。映画やドラマははじめからフィクションとうたっているので、視聴者も距離のとり方が分かるだろうが、ニュースやワイドショー、バラエティは見る人によって距離のとり方がバラバラなのではないだろうか。

 ドキュメンタリーであれニュースであれ、ある意図に則って作成され編集されているということにたいして、意識がないことが問題かなと。
テレビの見方、もっというと情報との付き合い方 (情報には恣意性が入り込むものである、など) を養っていかないと、今の世の中は歩きにくい。
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