「虚」「実」 のあいだを漂う、キス我慢THE MOVIE。

映画とは何だろうという考えが浮かんくる映画。

通常の映画は、ドキュメンタリーであってもフィクションであっても、その物語のリアリティを武器にその世界に浸らせようとする。しかし冒頭、ウォッチングルームのおぎやはぎ、バナナマン、松丸アナの画からスタートする。企画説明がなされ、”24時間キスを我慢する企画です”ということ、主役は何も知らされていないこと、それを5人が見ていること。これらが開始早々に分かった状態。

“虚構”ということが丸わかりの状態でスタートする「映画」。お笑いのコントライブであっても、状況設定があり演者はその役を全うするのに。ゴッドタンであるから笑えることについては何の疑問も持たずに見始めたが、はたして物語への「感情移入」はどうなるんだろうと感じて見始めた。この映画は、主役がその内容を知らない状況に対応していく様を見るドキュメントではあるけどもさあ⋯。

二種類のドキドキ。

主役が何も知らされていないとわかって見ているので、撮影や進行そのものにハラハラする。爆破シーンがあると、近くで爆発して危ないのではないか、遠すぎて台無しにならないのかと、両方にハラハラする。そのうえ、気が付くとストーリーの展開にハラハラする。ロールプレイングゲームやアクションアドベンチャーゲームをやっているような感覚となる。 虚構でありながら、主役の言動によって状況が変わっていく「真実」という二重性。

虚実をあいだを漂う。

物語が始まっても、ウォッチングルームの声は聞こえており、虚構であることが繰り返し示され続けているにもかかわらず。ストーリーと構成(セット、仕掛け)と演者の迫力に引き込まれて、その「虚」が「実」になる瞬間がある。気付くと感情移入している。

かと思えば、いかにもコント風のセットや小道具が出てきてお笑いの企画であることを思い出させ、虚に揺り戻す。

ウォッチングルームというメタ視点が存在していることを絶えず明らかにしながら、虚実をあいだを漂う不思議な映画。

「芝居がすぎるだろ」って言えるすごさ。

終盤で渡辺いっけいさんが、「決められた役割じゃなくて」と言わせる脚本に、うまいなあと感服した。しかしこれより前、劇団ひとりが信太郎に「芝居がすぎるだろ」と言うシーンがある。アドリブ芝居をしていますっていう状況、このセリフが出てくる勇気ととバランス感覚にうなってしまった。

“ツッコミ”の絶妙なバランス。

冒頭、まだ劇団ひとりも進行と世界観に手探りの状態での着弾爆発シーン。そこで、設楽矢作コンビは「アドリブだからどこに位置するか分かんないのに危ないよね」と、爆破と人の位置のズレを説明するツッコミ(解説)をいれる。わざとらしい”ご都合主義”な場面では、多めの量でツッコんでいく。
感想のようでありながら、観客が気付いていない部分を解説し、言い過ぎもせず、どっと笑いを取りにいくわけでもない。作り手と受け手の間をギリギリのバランスで埋めていく”つぶやき”(あえてこう言いますが)。絶妙なバランス。
マジ歌選手権では、早々に牛乳を吹き出して突っ込み役に回る設楽さん。マジ歌渋谷公会堂ライブでも、矢作さん、設楽さんが、絶妙なツッコミをしていたのを思い出す。
映画で日村さんは、観客目線で驚きを口にするポジション。

バミリ(お約束)を見ると立ちたくなるのか。

キス我慢の企画を最初に テレビで見たときには、どう見ていいか分からなかった。キスすればいいじゃないか、全ては自分のさじ加減だろう、と。ただ、何度か企画を見ているうちに、何となく見方が分かってきた。
芸人さんとしては、ある役割を与えられたらその役を全うしたくなるものなのだろう。”キスを我慢しなさい”という役割。人前という舞台に立つ人は、バミリの位置をみせられたら、その役割にはまっていくのだろう。でも、目の前では女優さんがあの手この手でキスをねだってくるし、キスをしてもOKな状況が用意されている。そのなかでの葛藤がこの企画なのだなと。
ちなみに、”周りにおだてられればその役割をしたくなる”ことを追求したのが、ゴッドタンのファンタジー芸人No.1選手権だろうな。

考え始めると高度な構造。だけどただただ笑える。

キスを我慢するという自分たちが勝手に決めたルールに則って、本人達のさじ加減の中で行われるこの企画は、何が本当なんだか分からない企画。虚実が入れかわり、映画の最後には、それまであった虚と実さえもが崩れる。非常に高度な構造が元にある作品。

だからって、この映画はそんなこと気にしないで見てればいい。設楽矢作コンビによる”つぶやき”が、虚実どちらに対しても絶妙のバランスで繰り出される。ただただ笑って、気が付いたら泣いている。

このスタッフならなんだって創れるじゃん。

この映画を作れるスタッフであれば、なんだって創れるのではないか。
バラエティの収録において辻カメラマンは一目置かれている話しはお笑いファンの間では有名な話し。芸人さんのその場の瞬時な反応を逃さず捉えるカメラマン。
そしてこの映画制作チームは、全編にわたって瞬時に反応するしかない状況で24時間撮影した。公開直前にゴッドタンで見せてくれた台本には「劇団ひとり;おそらくここで格好いいセリフを言うはず」と書いてあった。ある程度の予測はして、代役を立ててリハーサルをしたと聞いたが、本番ではどうなるか分からない。
序盤で当然のように手探りだった劇団ひとりではあるが、後半でさえどう展開するのかを悩んでいるのではないかと感じたシーンもあった。敵が相手の動きを止める技を発動した際、劇団ひとりは動くのか動かないのか決めかねていたのではないか。カメラも寄りの画を撮らず、ひとりさんは背景になっていたことから、監督からしてもどっちもありうると準備していたのではないか。
流れがある程度見えてきた終盤でも、どう転ぶか分からない緊迫した状況で、あの感動を笑いを生み出すチーム。感動は物語への感動、アドリブという構成への感動、チームへの感動。
エンドロールで、「脚本:オークラ、土屋亮一(シベリア少女鉄道)」のあとに、「アドリブ:劇団ひとり」ときてにやりとした。「撮影監督:風間 誠」にグッとききて、「監督:佐久間宣行」にじーんときた。

で次、何するんですか?、チーム佐久間さん。

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