「若林」は「自分」?。たった一つの自分・究極の自分

一個しかない

要約:日曜×芸人の「深い闇から生まれたオードリー若林の号泣」で書き切れなかった、たった一つの自分、理想の自分って?っていうアイデンティティとやっかいな自意識のハナシ。

「お茶ガシとおハナシ」バナナマン設楽×オードリー若林、哲子の部屋を繋いでみた。

無根拠の自信と絶望の間で。

僕はすでに充分におっさんだけれど、思春期心性は脈々と残っている。中二病です。

思春期心性ってのはざっくりいうと、自分は何でも出来るっていう無根拠の自信と、ほんの少しの挫折でドンと落ち込む揺れ動きって思ってます。「理想化」と「絶望」が高速反転するかんじ。あの肥大化する自意識のなかで。

たいして生き抜く力も持っていないのに自我だけが大きくなっていくあの時期。根拠のない自信でもなきゃやっていけない、たぶん。

話は変わるけど、「中二病」という言葉(概念)を作り出した伊集院光は凄い。この言葉が存在するおかげで、過剰な自意識と少しばかり楽につきあえるようになっている。

自意識過剰なこのやっかいなもの。少しは楽になってきたんだろうか。

“理想”の自分

理想的な自分を強く思い描きつつ、自信のない自分も存在し、その自分が「割れている」と語る若林。

設楽:一番良い状態自分が凄くあるから、自分に対して、“俺なんかだめだ”っていう考えを持ってるっていうけど、もっと“俺凄いのに”ってのが逆に凄いあるんじゃない?。“俺本来はこれじゃないんだよ、俺もっと出来るんだよ、こういう人だってしゃべれるし出来るんだよ”っていうのを理由つけないと出来ないから敢えてそれをやってるんじゃない。 若林:(しばし絶句して)……そうかもしれないです。ねじ曲がってて。そうですね、“割れて”ますね。「本当は出来る」っていう部分、同じくらいあります。

フジテレビ お茶ガシとおハナシ 2013/9/21 以下設楽と若林の対話はすべて同番組

前のエントリー 「深い闇から生まれたオードリー若林の号泣」でも書いたけど、“理想”の自分が強すぎて、“現実”の自分を認められない状況。こんな心の状態ってのは多かれ少なかれ沢山の人が持っているんじゃないか。前エントリーの感想のなかでも、そういう声に触れることができた。 だったら“理想”の自分を持たなければいいのか?ってなるが、理想がないと向上もなくなってしまうし、一体どうしたら?。

「究極の姿」「一つの基準」という拘束具

凄い自分・理想の自分を求めすぎて、自分を見失ってしまった「変態仮面」を題材に「哲子の部屋」はアイデンティティを探っている。 変態仮面は、変態ヒーローというアイデンティティをなんとか確立したのだが、より変態度の高い敵(戸渡先生)に出会い、どちらがより変態かという対決に引き込まれ自信を失い敗北してしまう。変態仮面に変身して活躍することが出来なくなってしまう。

千葉雅也(哲学者):戸渡先生はより変態になればいいっていう、変態アイデンティティっていうのを究めようとしてる人なわけです。ところが主人公は中途半端だった。僕らの中にもより究極の姿みたいなものを求めてる(戸渡先生な)ものっていうのが実はいるんじゃないのかなと。

マキタスポーツ:俺よりもっとこじれたやつとかを見たら、ちょっとかなわないとかって思ってたときがすごくあったんです。

NHK「哲子の部屋」2013/8/20放送。以下、千葉とマキタの対話はすべて同番組
文字起こしはソファラ日記より

ある一つの基準で優劣を競い「究極の姿」を追い求める。その基準の中でレベルが低いとアイデンティティがないことになってしまい、自分に自信が持てなくなる。 ところが、変態仮面は「変態度」の檻から抜け出すことで、自信を取り戻す。

VTR変態仮面:変態であればあるほど強いなどという法則は、どこにも存在せん!

VTR戸渡先生:気付いてしまったか、その事実に。

VTR変態仮面:だから俺は自信を持って戦う。確かにお前ほどの変態ではないがな!

VTR変態かノーマルかというアイデンティティーを突き詰めず、今の自分を肯定することで自身を取り戻すのです。

マキタ:で、目からうろこが落ちるというか。その変態の上、下、レベルの程度の違いだとかっていうところから自由になったっていうことじゃない?

千葉何々でなければならないっていう呪縛から逃れて、中途半端でいびつな自分でオーケーってことにするっていうことかなあと思いますね。

そうは言うけどさ⋯。

中途半端とオンリー・ワン:アイデンティティ追求の手

中途半端でいびつな自分を認めようとしても、ずっと昔から、“特別な自分”、“唯一の自分”、“目立つ個性”を手にしないといけないという呪縛は自分にもあった。中途半端は「個性」じゃないっていう怖さはもう40年も前から感じてた。だからSMAP「世界に一つだけの花」に居心地の悪さを感じた。 この本がそれを代弁してくれてた。

SMAPの『世界に一つだけの花』(2003) が大ヒットしました。これは「そのままの存在でいいんだよ」という癒やしの歌のようにも聞こえますが、見方を変えれば、どこにも「特別な Only one」を見いだせない自分には価値がないかのように思わせる煽りの歌とも言えます。

現代の子どもたちは「自分らしさ」の根源を、そのオンリー・ワンの根拠を、自らの内面世界へと探求していくように、ほかならな社会から煽られています。

いくらSMAPが「もともと特別な Only one」と歌ってくれても、その特別さを実感できない自分はどうしたらいいのでしょうか。

自分がダイヤの原石だと信じるモノが、いわば「根拠なき自信」に過ぎないことに、⋯自分でも薄々感づいているからです。

「個性を煽られる子どもたち」 土井隆義著 2004年 岩波ブックレット

「特別の存在でありたいと願い、それを支えるのは“根拠なき自信”」って。あ〜言わないで〜っ! 知ってるから⋯orz

どうしてこんなに「本当の自分=アイデンティティ」とか「1個のアイデンティティ」を求めているのかを「哲子の部屋」が解き明かしてくれた。

社会の自由度が増して、選択肢が増えた分、何をしていいか分からなくなってしまったんだと。

千葉「本当の自分」とか「1個のアイデンティティ」なんていうものはないんだと。そんなものは根本からないんだっていうことをドゥルーズは言ってるわけです。そもそも何でこのアイデンティティーにとらわれるっていうことになるのか、大まかに考えると、やっぱり近代っていう18世紀、19世紀ぐらいにかけての現象で、昔は八百屋の子どもは八百屋だったのが、それがどんどん崩壊していって。自由になったって言えば聞こえはいいんだけど、何をしたらいいのか分からなくなっちゃってる。今僕らの生きている現代っていうのも、それの延長上にある。アイデンティティー追求みたいなことを強いられてるんです。

「一つの自分」でなければという呪縛

思春期に突入した頃は、自分が大切にしている感覚に嘘をつきたくない気持ちから、「一つの自分」で存りたいと思っていた。変わらぬ自分でありたかった。「自分は何々である」と言いきれる自分であり続けたかったんだろう。こう見られたい、自分ははこういう人間だと「個性」をつけたかったのかもしれない。

だからその反動で、「自分を変えること」に「嘘」を感じていた。人によって態度を変える人を見ると、ちょっとした怒りがこみ上げてきてた。

しかしそれはブーメランとなって自分の後頭部を直撃した。「そういう汚い大人にはなりたくない」って気持ちが、「たった一つの変わらない自分」でいなければという強迫観念になってきたのかもしれない。

人格を“着替える”

本来は、自分だってTPOによって自分を使い分けている。例えば、一人で居るときと、親と居るときの自分。学校の友人とバイト先で話すことは違う。今時の例だと、SNSによって発言する内容を変えることはみんなしてるはず。Twitterで複数アカウント持ったり、はてなでの振る舞いとFacebookの振る舞いが違っていたり。

自分の中の何を強調するか、どの面を一番表に出すかっていうのは周囲の状況で全く異なるのが当たり前。集団が変わればポジションも変わる。

それは生きてくための技。相手によって態度が違うのは当たり前なのに、それは悪いことのように感じちゃう自分が在る。そしてその感覚が自分を苦しくしている。

千葉キャラクターを着替える、そういう“変態”ってあると思うんですよ。

♫:うちの中ではトドみたいでさ/ゴロゴロしてて あくびして(中略)/ だけどよ/昼間のパパはちょっと違う(中略) 働くパパは男だぜ (パパの歌/忌野清志郎)

千葉:その都度、仮の自分の姿っていうのに はまってる。そのスイッチングっていうのを毎日、毎日、カチャカチャやってるんじゃないのかなあと思うんですよ。だから唯一の「本当の自分」なんていうものは存在しない

人はその時々でいろんなキャラクターや顔に変わるもの。唯一の自分っていうものは存在しないんじゃないかと。

形を変える自分を認める。いつも仮の自分

自分の中にある理想や究極の姿、ある一つの基準と比べて上か下を追求するのをやめる。常に自分は中途半端で、仮の自分なんだということを認める。

マキタ:偽変態仮面が仕掛けた独自の論理や理屈に絡め取られて、それで自分はレベルが低いんだとかっていう自己否定から解き放たれて強くなれたっていうのは象徴的だった。

千葉:うん。比べてより上、より上っていうふうに追求するんですよね。でも、そうじゃない、仮の状態のこの自分でいいっていうこと、自分は半端な変態仮面なんだっていうこと、それをそれで良しとする。だってきりがないわけでしょ、自分探しをしたって。で、中途半端な自分を肯定するっていうことで戸渡先生との対決みたいなものから抜け出せる。半端な、仮の自分でいいってことですよね。

一個だけの本当の自分を探して、世界中旅したって、自分の内にもぐっていったって見つからない。ころころ変わるんだって事を認めないと逆にしんどい。

「今日できたこと やったことがすべてやねん」

その時々の自分が自分なんだってことなんだけど、明石家さんま は別の言葉ですぱっと言い当てている。理想の自分を描いていることは自分を「過大評価」していると。今の自分が自分だ、と。 「理由があって本来の自分が出せなかった」と考えるのは、「本来の理想の自分」に対して「今の自分を否定する」ことになる。さんまの考え方は、「その時出来ないってのが今の自分、すべて」と受け入れること。

俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、 自分のこと過大評価しすぎやねん。  過大評価しているからうまくいかなくて落ち込むのよ。 人間なんて、今日できたこと やったことがすべてやねん。

明石家さんま 出典不明

これは、「理想が高いほど緊張も不安も大きくなる。期待と不安は釣り合う感情。理想が高ければ落ち込みも大きい」ってことでもある。

認める(コントロールに絶望する)ことで相手の魅力に気付く。

ちょっと脇道。

若林は、ボケない・前に出ない春日に対して、もっとこうなって欲しいと言い続けていたが、結局、コントロールできず、変えらず、芸も性格も何一つ直らなかった、と語っている。

しかし、初めて若林がMCとなりひな壇の春日をいじる状況がやってくる。春日に振るとうまい返しが出来ずすべって顔が真っ赤になってしまうが、そこを別の人がツッコんで大きな笑いになった。その時初めて“春日が芸能界に居ても良い理由が見つかった。春日が居ることに安心できる” と思えるようになったという若林。

若林:そういう役目があるんだって思ってからこの人の性格とか芸風とかコントロールするの一切やめようと思って。しゃべってなかったらしゃべれよってツッコめばいいし、つまんなかったらつまんねえよってツッコめばいいんだなって思ってから少し楽になった。

設楽:コントロールできないんじゃなくて。

若林コントロールできないって絶望しちゃった方が春日の魅力に気付いた。これで飯食ってかなきゃって思ったら、いいとこいっぱいあるなあって。

若林は春日に対して理想を押しつけることをやめて、ありのままの春日を認めて受け入れた。そのことで格段にやりやすくなった。人をコントロールすること(≒理想から引き算で見ること)をやめた。

自分の思い通りにならない人、嫌な人がいたときに、「あいつムカツク」っていって、思い通りに変えるのはとても大変。多大なエネルギーが必要だし、変えられないことの方が多い。で、変えようとするこっちは思い通りにならないので余計にイライラが募る。だったら、その相手を認めてしまう方がいいんじゃないかってこと。

これに通じるものに、平安の祈り(ニーバーの祈り)というものがあって、アルコール依存症の自助グループで使われることが多い。宇多田ヒカルの歌詞にもある。

神様 私にお与え下さい

変えられないものを 受け入れる落ち着きを、

変えられるものを 変える勇気を、

そしてその二つを 見分ける賢さを。

 「平安の祈り」

変えられるものと変えられないものが見極められれば、「思い通りにならないからくやしいっ!」っていうイライラや不安が減るんだとおもう。でもさ、難しいんだなー、これが。

自分を認めることで自分の魅力に気付く

若林が春日をコントールすることをやめたように、自分のコントロール(理想から引き算で考えること)をやめられれば、楽になれるのかも。明石家さんまのいうように、「今日できたことがすべて」という目線に立つことで。

若林は春日に対してありのままの春日を認めたように、自分のありのままを認められるのだろうか。

というか、俺は、ありのままの相手を、自分を認められるのだろうか。

「若林」も「変態仮面」も自分なんだよなあ。

P.S. 若林スタイルの「負け顔」

で、前の記事も含めて書いてみて気付いたんだけど、「いじられると本気で腹が立つ」「負け顔が出来ない」と言っている若林は、結果的に自分の内面をあちこちで曝すという形で「負け様で勝つ」ことをしているんじゃないか。若林流の負け顔のさらし方なのかも。そして、そういう姿に自分を見るから、若林は支持されているのかもしれない。この本読んでみようかな。お、ステマか。

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