「明日、ママがいない」。フィクションとの付き合い方をそろそろ本気で考えよう。

「明日、ママがいない」。わかりやすく大袈裟に誇張しているTHEフィクションなドラマ。“そろそろ、フィクション(事実)との付き合い方を正面から議論しよう”、そういうメッセージを含んだドラマだと、受け取った。フィクションの影響を安心できる人と話し、自分の力にして、フィクションとちゃんとつきあえる人になろうと思って。

内容が話題になっているけれど、中身をどうこう言うよりも、もっと大切なことがある気がしてこの記事を書いた。

これは紛れもない“フィクション”

すべてが大袈裟に誇張され描かれている。

児童養護施設「コガモの家」。自分の境遇を揶揄するような名前。子どもたち。「魔王」と呼ばれる施設長。里親候補も「典型的」な壊れた家庭。浮気している夫を振り向かせるために夫の好きな人形として子どもをもらう里親や好きな男と暮らすために子どもを捨てる母親。THEお金持ちというクラスメイトとお誕生日会はまるで昔の少女漫画のよう。

事実ではない(フィクション)であることは最後のテロップで言われなくても分かるほどの演出。

赤ちゃんポストが設置されている慈恵病院の関係者は「施設の現実とかけ離れた描き方は見るに堪えず、公共の電波で流すのは問題」という。病院がある熊本の市長は、「過激な描写や演出が目立ち、現実離れした表現が多い。局側は当事者の声を真摯に受け止め、今後の内容に十分留意してほしい」(会見報道)と。

現実を知る人たちだから当然ではあるが、このドラマ、「過剰な描写や演出」、「現実離れした表現」であることは伝わっている。おそらく多くの視聴者にも。

▶音楽や演出すべてが「ベタ」で「コテコテ」

ホラー映画ばりの音楽と色味でスタートした初回。コガモの家に明かりが付くと、「北の国から」を彷彿とするような音楽が流れ、“ここはアットホームな場面です”という「旗」が立てられる。

施設長「魔王」の登場前には、「ピロリロリーン」ときっかけの音楽が流れる。その場の雰囲気を盛り上げる音楽もシーンによって「典型的」な音楽であり、ポストが泣き真似をした後は即座に牧歌的な音楽に戻る。

ゲーム「ゼルダの伝説」をプレイしている感覚になった。“あなたが今見ているシーンは、牧歌的ですよ”とわかりやすく伝えてくる音楽。

演出すべてにおいて徹底して、「記号的」に描かれている。

▶カリカチュアライズ(戯画化)された演技

子役たちの「大袈裟」な演技。「やれやれ」というアメリカンコメディ調のジェスチャーまで見られる。

芦田愛菜は、「あんたが見たのは女の顔だ、なんてね」と舌を出す。東映映画や大映テレビのような大仰でメリハリのある演技。さすがは「芦田先輩」。そう、「マナ… おそろしい子!」。ごめん、もうこういうの言わない。「芦田、マナが恐い」も「芦田、マナがいない」も「明日、スポンサーがいない」も封印。

おそろしい子

ガラスの仮面 「おそろしい子」

▶フィクションに引き戻すボンビというキャラ

ただ、ここまで「フィクションです」という旗を振っていても、芦田愛菜の高い演技力によって、視聴者が「すべてを」受け入れてしまうかもしれない。「母の思い出の香水を捨てて母親と決別しろ。自分から母親を捨てろ」と言われドンキはいったん納得するが、すぐさま「こんな事に意味なんかない」といわれる。視聴者も、いったん納得したかもしれない。

なんせ、「悲しさを吹き飛ばすには怒るんだよ」「私たち誰も知らなかった。昨日も今日もいたママが明日にはいなくなるなんて。明日、ママがいない⋯」と慟哭する「芦田先輩」の芝居は、「大仰」で年齢不相応であってもそれを上回る説得力がある。誉めている。

おそらくこれを中和するために、ボンビというキャラがあるのだろう。アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピット夫婦というまさにドリームな家庭を夢見るボンビは、すぐに「ファンタジー」の世界に飛んで行ってしまう。「これはつくりもののお話ですよ」とよりわかりやすくするために、フィクションを現実と混同させないために、ボンビというキャラがいる

フィクションに引き戻す装置がボンビ。

そして、「親のない子を見るステレオタイプの目線を描いている」ことをわかりやすく気付かせるための装置でもある。

明日、ママがいない。ボンビ

明日、ママがいない。ボンビ

偏見・ステレオタイプをあぶり出す

「魔王」のいうセリフは、「世間の目」の代弁だという意見。「自分はあんなひどいことなんて思ってない」と感じるかもしれないけど、本当にそうだろうか。一時的な同情はしてしまうのではないか、なにか問題を起こしたときに「やっぱり親のいない子は」と思わないか。

このドラマは、「親のない子ども」、「親というもの」、「子どもというもの」、「親子関係」を見るときの視聴者の目線をあぶりだすものだと思っている。

虐待の中には、「子どもを可愛いと思えない」、「可愛げがない」という理由で起こるケースがある。そうなると、「魔王」の言う「可愛げ」は、「過剰な描写」でもなく「現実離れ」もしてない、親や世間の「真実」。

「親はこうあらねばならない」。パチを失神させた妻は絶対的な「悪」か

「悪い」里親への怒りも、「親はこうあらねばならない」という典型的なイメージが元にないだろうか。

例として、パチが風呂場で失神してしまう場面を考えてみる。(最初ポチと間違えていたので修正)。

パチから「母の代理」であるシャンプーを取り上げ、お風呂で高温密閉空間のトラウマを呼び覚ましてしまう妻。逆にポストは、パチを抱えて後ずさりし、近寄ったら死んでしまいそうなほどの迫力でパチを守る。我が子を守る親動物のように。

明日、ママがいない #02 ポストとポチ

明日、ママがいない #02 ポストとパチ

里親候補の夫はパチと自然に遊ぶが、妻は「遊ばない」。妻は「夫の体質が理由で子どもが出来なかった」と語る。

妻は子どもが欲しくて仕方がなかったが夢が叶わなかった。おそらく、子どもができなかった責任を夫にすべて帰しているよう。表情は能面で、感情を素直に外に出すことが出ないようだ。パチには手の平で触る程度で、身体接触することが「出来ない」ようでもある。

児童相談所の職員が言うように、手をつなげない人がいる。子どもと身体接触をすることができない親もいる。 あの場面だけみると妻がひどい人のように描かれているが、この夫婦がこうなった背景と理由を想像すると、ただ妻を悪者にしても問題は解決しない。

ドラマの話ではないが、むかし自分は、自分の気持ちを言葉にするのが苦手な娘と子どもを可愛がれないことに悩んでいる母親にあった。公共広告機構(AC)の児童虐待防止CMに『抱きしめる、という会話』があったのだが(参考)、僕はその母親に「あのCM嫌いなんです。抱きしめられる人ならそれに越したことはないけど、抱きしめられない人もいるから」と言った。そうするとその母親は、肩の荷が下りたように安心して泣きだし、自分がかつて虐待されていたことを語った。娘に急に近づかれると恐怖心が出てしまうと。

こういう事例も考えると、「あの妻が悪い」としてしまうだけでは、問題は解決しない。

放送することで新たな「害」を生み出すか

このドラマが描いていることの何が真実で、何が誇かを具体的に区分けする知識は持ち合わせていない。知識がないこともあるが、自分としては、児童養護施設という枠組みではなく、家族という観点で見ている。

フィクションについて、人を不快にする表現、害をもたらす表現とは何かという問題は自分には手に負えないほど難しい。けれど、フィクションには功罪どちらもあるのは踏まえた上で、悪いことが良いことを上回っていないか、「新しい害」を生み出すかどうかがポイントだと考えている。

乱暴な言い方だけれど、施設出身者がいじめられるのは、前からあるだろう。世の中や自分たちの中にある偏見がそれをしているのであって、突き詰めれば「新しい害」ではない。身も蓋もない言い方だけれど、「蓋を開けずにそっとしておいて、寝た子を起こさないで」いたものがあらわになったのだろう。

慈恵病院のコメントのように「公共の電波で流すのは問題」なんだろうか。「現実的な解決策」の一つとして、「赤ちゃんポスト」が登場したときにも大きな批判や議論が巻き起った。寝た子を起こしたのだ。

いじめの問題も、「いじめのない世の中」を夢想して現実から目をそむけてしまうのではなく、「いじめはなくならない」という前提に立って、現実にどう対処するかということを考えることの方が、大変だけど大事なことだと思う。

確かにこのドラマをまだ気持ちが整理出来ていない当事者が見てどう思うのだろうとは気になる。その人に届く言葉はなんだろうかと思う。ただ、フィクションにすることで、現実と距離を置いてみられるのかもしれない。

フィクション(or 事実)との付き合い方

このドラマは「過剰な演出」が「現実離れ」していて悪影響があると当事者近辺の人から批判された。

ある事件が起きたときに、フィクションが「悪影響がある」という理由で「要因」「原因」のように言われることが多い。特にゲーム、ドラマ、映画など、映像化されたフィクション作品は、影響力が強いと言われ “やり玉に挙がる”。

たしかに、鉄腕アトムを現実のものにしたいロボット研究者がいるように、フィクションには人を動かす力がある。フィクションにはウソがある分魅力的でもある。

けれど、真実に近いと思われるドキュメンタリーだって、編集という作業が入る以上、情報は欠落するし選別される。そこに制作者の「意図」が入り込む。それを排除することは出来ない。

友だちから聞いたことでもそれが「事実」かどうかはまた別の話。あくまでもその人のフィルター(色眼鏡)を通った情報。「物語」はすべてその人の語った「お話」なんだから。

どれもがその人の「表現」であり「つくりもの」だ。

テレビも「つくりもの」。たしかに子どもは、影響を受けやすい。自分だってドリフのコントを見て真剣に志村けんに「後ろ後ろ!」って叫んでいた(例が古いけど)。子どもの頃は嘘と本当が区別できなかった。けれど、そういうことを経験してきたから、嘘と本当が何かを考えられるようになった。

だからこそ、フィクションとの付き合い方、事実の扱い方に慣れていかないといけないと感じている。

例えば小学校のカリキュラムに、「取材」とか「表現」という授業を組み込んだらどうかと考えている。同じ出来事に遭遇したときに、それぞれが感じたこと、受け止めたことを表現しあう。同じ出来事を見ても、人によってとらえ方がどう違うのか、どう解釈するのか、人に伝えるときに何を選んで何を捨てるのか、を実際に体験していく機会。「自分の視点と他者の視点の違い」を体験する授業。

問題が起こるたびにフィクションを「犯人の仲間」に仕立て上げてきたけど、人はフィクション(物語)を作り出す生き物なんだから、そのフィクションとどう付き合うのかを、そろそろ正面から考えた方が良い。フィクションによる「表現」がそのまま真実だと受け取る人が大多数なら、それこそが大きな問題。

このドラマをきっかけに、施設の子どもたちがいじめられるのが問題だというのなら、そこに居る人たち(大人も子どもも)で話し合う場を作ればいい。

テレビが悪影響を及ぼすというなら、ドラマを超える影響力を人が持たないとって思う。きれい事?。

安心できる人と話してみる

誰かが悪いとする心持ち。こういう家族が「正しくて理想」と考える頭。親子とはこういうものだという凝り固まったステレオタイプな見方。たった一つの簡単で納得しやすい「真実」を見つけて、悪い人を認定したからといって解決しない。

そんなことを考えさせるドラマ。

「親子になる」とはどういうことか、人と繋がるとはどういうことかを丁寧に描いて欲しい。 そして、臭いものに蓋をしないで、刺激的なテーマだからこそ、安心できる人と話し合っていけたらいいのにと思う。安心できる人と。

* * * * * *


P.S. 蛇足

スポンサーの気概

CMがACに差し替えれたり、提供クレジットが表示されないなど、スポンサー企業が下りたのではという話もある(参考)。

このドラマは「うちが全力で支援していきます」といった方が、企業理念として共感が得られるんじゃないだろうか。少なくとも自分にはそうだ。

反響はどう拡大ししていくか読めない状態では、リスク管理の問題に外から口を出すことは出来ない。それぞれの企業にどんな思惑や計算があるかも分からない。

ただ、“このドラマを届けることに力を貸す”、そういう本来的な意味でのスポンサードをしているのだとすると、その企業を応援したくなる。この発想自体がお花畑的ファンタジーかもしれないけれど。

「月曜JUNK 深夜の馬鹿力」で伊集院光は、もし自分が家を建てる機会があるなら、自分の好きな番組のスポンサーであるヘーベルハウスで家を建てたいと言っていた。その番組とそれを支える企業の気持ちに応えたいという。

伊集院はTBS系「まんが日本昔ばなし」も、その意志を引き継いだテレビ東京系「ふるさと再生 日本の昔ばなし」も大好き。出来は良いが、日曜9時で視聴率はさほど良くないだろうと。その1社提供がヘーベルハウス。

伊集院:日曜の朝とかだから視聴率もたいしたことないと思うんです。なのにヘーベルハウスの1社提供。ヘーベルハウスがやろうといってるからやれてるだけのものです。テレビにCMを打つときに、一番いい方法は、視聴率が高いところになるべくCMをいっぱい打つ方が良い。そこに打つことが効率がすごい良いことではないと思う。1社提供で結構お金がかかるスポンサードをして、なのに日曜の昼間の番組をスポンサードするっていうのは。だけどまあ、この「ふるさと再生 日本の昔ばなし」のクオリティが高くて、つい見ちゃうん。で、俺が家を建てるときは、どこで建てても一緒だったら、あの分ヘーベルハウスって思うんだよね。

youtube

スポンサー当事者の思いは他の人が決めつけられるものではないんだけども。

* * *

参考

「明日、ママがいない」に見えた深刻なギャップ(日経ビジネス)

「明日、ママがいない」施設出身者の方々の反応(togetter)

「生きづらさを武器に」歌人 鳥居さんに聞く(不登校新聞)〜親との過酷な関係の中で生きてきた歌人

賛否両論ドラマ『明日、ママがいない』が含む“差別”とは真逆の優しさを読み取る(messy)

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