「親子は仲良く出来る」が「絶対」になる苦しさ。「ネグレクト」が救える人と救えない人。

ダイオウイカってこんなにいるの?ってくらい「見つかってる」。ネグレクトは今まで見えないものを見つけやすくした言葉。世の中全体で子育てが少し楽になるには、どうしたら良いかなんてことをつらつらと書いている。で、虐待の話しや家族の話をする。「明日、ママがいない」や、「woman」を見て考えたこと。

次々と見つかるダイオウイカと増え続ける虐待・ネグレクト

ダイオウイカ

ダイオウイカ

ダイオウイカが相次いで発見されている(ITmediaニュース)。NHKで特集されてから、やたらと水揚げされるダイオウイカだが、さかなクンが言っているように、今までは目にしても捨てていたのが、ブームになってたから、捨てなくなったので増えているのだろう(参考)。

ダイオウイカの「存在」、その「価値」や「意味」を多くの人が知ったから、船に引き上げるようになった。

それと同じことが、DV1や虐待2(ネグレクト3を含む) にもある。

児童虐待件数

児童虐待件数

児童相談所、虐待相談内訳

児童相談所、虐待相談内訳

虐待件数は年を追って増えている。(内閣府データ、グラフはNPO法人児童虐待奉防止全国ネットワークより)

これらは、もともとは、家庭や親密な関係の中で行われることだったので、表に見えることは少なかった。けれど、概念として「発見」されて整理され言葉ができ、親密な関係で起こる不適切な行為がはっきり分かるようになった。

虐待という概念が広がることで、今まで名前を付けていなかった密室の暴力行為に名前が付いて、闇に隠れ、時には正当化されていたものが「水揚げ」される。

実際「虐待は増えていない」といいたいのではない。後述するけど、虐待が生まれやすくなっている状況がある。

名前がついて初めて存在する

ある出来事に名前を付けるというのは、こういうことだろう。

虐待のひとつ、「ネグレクト」3 という言葉と概念は、さらに強力だと思っている。

それは「しない」を扱えるから。暴力をふるうわけでも脅すわけでもレイプするわけでもないが、本来行うべき養育行為を「しない」ことに名前を付けた

これによっていままで、見つけられなかったことをあぶり出すことができる。

名前の付いていないものを、共通にわかり合うのはとても難しい。その出来事をその場で共有していない人には非常に伝わりにくいことだ。けれど、名前を付けると共有できる。他人との間でそのものが「存在できる」。

ネグレクトということばに感じてしまう「自己責任」

で、ネグレクトに話を戻すが、親子・養育関係という親密な空間に起きることには、なかなか第三者は介入しにくい。だからこそ虐待は市民に通報義務を設けて、密室から親子を救い出せるようにしている。

ちなみに、ゴミ屋敷をセルフネグレクトと捉えるのだけれど、こうすることで、「自分の生活やケアを放棄し、自分自身が被害者」であるという見方を持ち込める。

ネグレクトは、あくまでも被害を受ける側に焦点を当てた考え方。小さな子どもは親の保護無しには生存できず、養育者に命を握られた状態。だからこそ、親の責任を明確にしている。ここを外してしまうわけにはいかない。被害者がいるということをあぶり出している。

けれど、ネグレクトという言葉の持つ響きには、「自己責任」の意味合いが強いと感じる。この言葉の持つイメージでは逆に「救えない人」がいるかもしれないのではないだろうか

親の責任だけが大きく取り上げられると、今の世の中では親がしんどすぎないかと思う。

経済力不足、障害や病気で育児が出来ないことをすべて、「親・養育者の責任」と言い切ってしまうと、この親子を救えないのではないだろうか。

子育てがうまくいかない人たち

ここで、自分が体験したことを話す。特定の人というわけではなく、いろんなケースのエッセンスみたいなものだ。

中学生で不登校になった娘さんとお母さんにあったことがある。出会った頃の娘さんは口数も少なく表情はとても硬かった。

娘さんは小さい頃、親になつかなかった(愛着を示さなかった)そうだ。言葉の発達も遅く、自分の気持ちをうまく言葉にできる子ではなかった。友だちとあまり遊ばず、みんなの輪には入れなかった。周りの子よりもペースがゆっくりな子だった。嫌なことがあると、髪の毛を抜いてしまう癖があった。

お母さんは娘さんが小さい頃、子どもを抱けずに突き放してしまっていた、近づいて欲しくなかったのだと。お母さんはそういう自分を「異常だと思う」と言っていた。実はそのお母さんは、自分の親から虐待を受けていた経験があると教えてくれた。虐待を受けていたお母さんは、子どもがぴたっと寄ってくることに恐怖心を感じていたのだ。

その子は中学生になり不登校になったけれど、それをきっかけにセラピーを受けた。遊んだり話したり、他人と安心してすごす時間を積み重ねていった。そうしているうちに、少しずつその子も明るくなり、お母さんにも甘えるようになった。

けれどここで、お母さんは困ってしまった。大きくなってからお母さんにスキンシップを求めてくる娘に対して、「それ以上近づかないで!」と声を荒げてしまうこともあった。けれど、この子の要求に応えなければならないと思って辛いと話してくれた。手をつなぐのもつらいときがあると言っていた。

そのお母さんには、“虐待を受けた場合に身体を触れあうことが恐くなることはある。無理をしなくて良い”と伝えた。“誰もがスキンシップを出来るものではない”とも伝えた。“手をつなぐのが大変なら、手を重ねるだけでもいい”と。「あなたのことは大好きだけれど、お母さんはぴたっとされるのが苦手なんだ。手を重ねるのでいいかい」と言ってみてと、伝えた。

そうやっていくうちに、娘さんも少しずつ安心が増えて学校に行けるようになり、お母さんも時には子どもの横に座って身体を寄せ合ってあげたりもするようになった。

親密で安全な関係を作りづらい親子関係

子どもが育っていくとき、安心できる人(親、養育者) と安心で親密な関係 (愛着関係) を作っていく。安全基地みたいなものだ。おっかない世の中を探索しては安全基地に戻る。特定の人と愛着が形成されていくことは、子どもが生き延びるために必要なのだ。

けれど今書いたように、親密な関係を作りづらい親子がいる。どちらの責任というのでもない。子どもとうまく関われ愛親もいるし、親とうまく関われない子どももいる。

「自分の子どもが好きになれない…」と悩んだときの処方箋5つという記事に、「ちょっと視点を変えるだけで”子どもってかわいいかも”なんて思える可能性があります」とある。“生まれたときの写真を見る”などの方法が紹介されている。これで楽になる人はそれでいいとおもう。

けれど、こう言われることがつらい人もいるってことを知って欲しい。

自分の親と愛着関係がうまく作れなかった場合、周りの人や自分の子どもとも愛着関係を作るのが難しくなる。子どもと仲良くしましょう、愛しましょうと言われてもどうやっていいのか分からない。

先ほどのお母さんは、「抱きしめることができない。近寄られると恐い。子どもをかわいいと思えない」といって苦しんでいた。自分は異常だ、母親失格だと感じていた。

子どもと接触したり、心理的な安心を作ってあげたくてもそれが出来ない事情があった。心理的発達の機会がネグレクトされていると言えなくもない。けど家族にそれを言っても意味が無い。

親子がうまくいかないこと、子育て困難はどこの家族にもありうる。

「明日、ママがいない」でも描かれているように、いろんな事情で親子が一緒に暮らせない、一緒にいても親子関係(愛着関係)がうまくいかないことは、どんな家族にも起こりうると感じる。

それに、今は昔と違って、地域が子育てを助けてくれる時代ではない。祖父母もいない。共稼ぎも多い。失業率も高く雇用も不安定だ。シングルマザー、シングルファーザーも増えている。待機児童の問題もある。

子育て困難は、どこの家庭にだって起こりうる。子育て困難が続いてしまうと、子どもと親の関わりが少なくなり、それはネグレクトの始まりとなり、虐待に深刻化してしまう。

あまりにも「子どもの養育と成長の機会を奪った親が悪い」という雰囲気が強いと、本当に困っている人を助けられないのではないだろうか。

「自分が悪い」と周りに思われていると感じてしまったら、周囲が伸ばす救いの手を掴むことが出来なくなってしまうのじゃないだろうか。手を伸ばすことが遅くなってしまうんじゃないだろうか。

ネグレクトの中には、その親や家族の責任を超えている場合もあるんだって事を、広く分かってもらっておく方が、助けられる人は増えると思う。

「親子は仲良くできる」という当たり前が「絶対」になる苦しさ

虐待のことを考えるときに、自分がずっと根っこで思っていることがある。

「親子は仲良くできるもの」という考え方が世の中の「絶対」になってしまうことの苦しさだ。これは虐待から人々が楽になるためには、大きな「壁」になることがある。

仲良く出来ない親子は、親も子も自分を責める。時が経っても仲良くなれないこともある。けれど、「親子は仲良くするもの、出来るもの」という考えが強いので、“世間で言われていることが出来ない自分はだめだ”と感じる。世間からそういう圧力がかかる。

親子うまくいくのに越したことはないけど、“そうならない場合だってある、うまくいかないのは変なことじゃない”っていう考えが広がるといいなあと思っている。

おまけ

こう考えると、「いじめ」4という用語は、虐待やネグレクトに比べるとあぶり出す力が弱い。ビートたけしが、「この言葉の響きが本質を見誤らせてるんだよな。いじめじゃなくて犯罪だろう」と言っているように(参考)、問題の本質を「あぶり出す」用語ではないので、第三者が介入もしづらく救い出す力が弱い。

* * *

熊本大学の友田准教授の研究によると、性的虐待、言葉の暴力で脳が萎縮するデータがある。虐待が心に影響を及ぼすことは知られていたけれど、脳そのものに影響があることが分かってきた。(紹介記事本人の論文)。

「子ども虐待は愛着形成の障害と慢性のトラウマ」(杉山登志郎)であり、両方への対応が不可欠だという。そのあたりを勉強知るにはこれが良いかなと思っている。まだ読んでないけど、紹介されて気になっている。

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  1. DV (ドメスティック・バイオレンス):「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」では、「配偶者からの身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの」と定義されている。家庭内に限らず、親密なパートナーからの暴力全般をさす。 
  2. 虐待:英語では、abuse。ab(誤った) – use(使い方) 、「濫用」が元々の意味。自分の力を間違った使っているということ。虐待には、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、経済的虐待の他に、ネグレクトがある。 
  3. ネグレクト:児童虐待防止法の定義では、「心身の正常な発達を妨げる減食・長時間の放置」 と 「保護者以外の同居人による前記の行為と、その行為を保護者が放置すること」。身体、心理、教育、治療の発達やケア機会を与えないこと。ネグレクトには、大きく二つの種類がある。
    積極的ネグレクト:理由なく育児を放棄すること。
    消極的ネグレクト;経済力不足、精神疾患、知的障害などで育児が出来ないこと。
  4. いじめ:文部科学省の定義は、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」。
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