「いいとも」が終わった。日常の風景が変わる日。

要約:『笑っていいとも』が終わる。タモリがいなくなるわけでも、テレビが終わるわけでもない。それなのにどうしてこんな気持ちになるんだろう。日常の風景だったいいとも。

これは、夜の特番前に書いている。

日常風景が変わる

32年間という長寿番組が終わる。もっと長くやっている番組は、司会が交代したり毎週やっている番組なら他にもある。これは平日毎日続いてきた。タモリはほぼ休むことなく出演した。日本で一番有名なサラリーマンの退職日を国民が見守る日。まさにタモリは「国民のおもちゃ」。

タモリがいなくなるわけでも、テレビが終わるわけでもない。それなのにどうしてこんな気持ちになるんだろう。
それほどに『笑っていいとも』は日常の風景だった。日常の風景が変わるということが、こんな気持ちを生んでしまうのだろうか。

自分の人生の思い出のどこかにいるのが『笑っていいとも』とタモリ。いいともの「行間」には、それぞれの人の歴史が含まれている。自分にとってタモリは、こういう存在や考え方でもいいんだと感じさせてくれる人だった。自分を全肯定してくれる存在(この記事に→タモリ:日常世界の「いいとも」に、「一番危ない」人が「空気」のようにいること)。

ラジオはセイヤングやヤングタウン派だったために、オールナイトニッポン(1976〜83年)を聞けていなかった。それは大いに悔やまれるが、79年から始まったテレビファソラシドでタモリに出会うことが出来たのは幸運だった。

タモリは自分にさえなりすましてきた

なりすましが自分の芸だというタモリ(タモリの「なりすまし」芸が見られる木曜日のいいとも)。
そもそも山下洋輔に「発見」されたときも、歌舞伎と朝鮮語のなりすましだったようだ。その後、芸能人になりすまし、スター誕生番組の審査員になりすまし、お昼の司会者になりすまして32年が経った。そのなりすましは、いつのまにか「日常風景」になった。

安産祈願のマークも、明日のゲストへのメッセージをメモっていたとき、書いたふりも暇だったので書いていたマークが起源。「安産に効きますよ」と言い張り、ついには逆子まで直すという能力を手にした。最終木曜日の未公開トークでは、「おれ宗教法人だよ、無痛山分娩寺」とまで。

こうやって口から出任せを並べてなりすますことで本当のことにしてしまうタモリ。

『笑っていいとも』最終回当日

多くの人が新宿アルタのビジョンを見つめる中、スタジオでは牧師姿のタモリが登場。「ドウモアリガトウゴザイマス。去年の年末でこれは終わったはずなんです。また出てきちゃいましたねえ」と軽妙にスタート。「いいとも最終回です。今日は朝から私、涙がすごい出まして⋯」と言うと会場がどっと沸くが、「違う違う、花粉が多いなと」とさらに会場を沸かせる。

「8054回で終わりです。8054。やれ、⋯やれごし!と覚えて頂いて結構です」と、どこまでも「口から出任せ」。

「いいともの一番の思い出は青汁です。まっずいんです。あれ飲んだ後お笑いやる気しません。ツッコミとやりたくないです。人がぼけると頭にきます。ツッコマナキャイケナイジャナイカヨ!」と。

神の言葉。いつもの特大号では決まったセリフだが、今日の神の言葉は聖書を開いたところを読むのでストップと言ってくれとタモリが言っても、えーという観客。この時間を終わらせたくないのだろう。

何年ぶりだろうか、すこし照れたような表情でタモリがテーマソングを歌う。
「時間通りにcome with me」が「ふだん通りに」に聞こえる。そう言っているのか、行間読みすぎなのか、それは分からない。

月曜レギュラー陣が登場すると指原はすでに泣いている。けれど、タモリは「夜があるんで、これが最後な気がしない」とひょうひょうとしている。泣いている指原に、「歌聞いてるだけで泣けるって、俺の歌唱力凄いだろ。人を泣かせるだけの歌」とさえ。
特番への出演で、普段通りじゃないスケジュールだったであろうタモリは、今日も普段通りだ。「楽屋の片付けがあるからこなくちゃいけない。足もみ器も俺のだ」と。「まてよ、この“いつもと同じ感”もなりすまし?」とさえ思ってしまう。

あえて“ロートル感満載”でお送りしております

67歳のビートたけしと68歳のタモリが、80歳の黒柳徹子を地蜘蛛だといい、同じく80歳の大橋巨泉を玄関先で仕事しているとこき下ろす。テレフォンでは電話越しに、ビートたけし、明石家さんま(58歳)、タモリのBIG3がそろう。

62歳の鶴甁は、最終回の出演者の中では年齢的に2番目に年配なのに、太田光(48歳)、中居正広(41歳)ががいじり倒す。夜の特番は、さんま、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナインと、ベテラン勢揃い。なんというロートル集団。

博多大吉が、最近のテレビは若い人には理解できないものと言っていたり、テレビ業界は制作者側が年功序列なので若手の感覚とずれているという記事もあった。たしかに若い人と感覚がずれるのかもしれない。けれど、ここまで日常風景になってしまっている『笑っていいとも』は、世代の壁を越えてしまっているはずだ。

「いいとも!」

Twitterでは、最後の挨拶はどうなるのだろうと想像しあっていた。明日はやらないけど「明日も見てくれるかな」と言うのだろうかと。いつものタモさんで行くんじゃないかという声もあった。

ギネス認定があろうが今日で終わろうが、最後はいつものように「明日も見てくれるかな!」と終わった。
日本のあちこちで、「いいとも!」と返事をしてことだろう。

日常と非日常の同居

わざわざ見なくてもそこにあり続けた番組。マンネリの極地でありながら、突如タモリは非日常な行動をとる。日常と非日常が同居していた番組。

ビートたけしの「表彰状」は、『笑っていいとも』という番組と『笑っていいとも』司会者のタモリへの「弔辞」(書き起こし記事)のようでもあった。

『笑っていいとも』が放送されなくなっても、急に“いいともロス”を実感することはないだろう。ふだん通る道の建物がなくなると、何があったのかを思い出せないことがある。「あそこには『笑っていいとも』があったんだなあ」と、後になってからふと思い出すのかも知れない。

さて、特番を見よう。どんな気持ちになるんだろう。

広告

「いいとも」が終わった。日常の風景が変わる日。」への2件のフィードバック

  1. そもそも、いいともと前の番組の笑ってる場合ですよとオレたちひょうきん族は、あの名物プロデューサーだった横澤彪(たけし)が率いていたディレクタースタッフ陣を集めて出来たバラエティー番組だったし、それに横澤の思いとしては、場合ですよとひょうきん族に、ビートたけしと明石家さんまが、漫才ブームの常連芸人メンバーと共に両番組に出ていたから、両番組に只一人縁のなかったタモリは深夜番組の定着や音楽ショーを再現したコントを披露していたので、いいともという昼の長期番組を立ち上げてタモリも横澤ファミリーの一員としてたけしやさんまと共に横澤系3人衆として日本のテレビ界に新旋風を巻き起こして貰いたいという横澤の思考がマッチしたから、いいともが32年以上平日の昼の時間帯を魅了してきたのはそこに意味があるであろうか!?

    いいね

    • コメントありがとうございます。返信が遅くなってしまいました。
      いいともがスタートした頃のタモリは、NHK『てれびふぁそらしど』に出ていたとはいえ、まだまだ夜の顔でした。昼の帯でタモリが出ると知ったときは、「大丈夫なのか?」と驚き、心配したのを覚えています。横澤さんは“その当時まだ存在しないものを作る”という気概でやっていたのでしょうね。

      いいね

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中